
絶好調!ぶっちぎり!
昨日は、「気仙沼→仙台」へ115km進みました。
温泉に入り休憩室で一服していたところ、テレビから甲子園が聞こえました。

7回くらいで、満塁ホームランと聞こえ温泉の女将さんが大はしゃぎしていました。
仙台で仙台育英の初優勝を体感することができ運がいい私なのでした。
いや〜、これも時のいたずら。
私は、野球を10年以上行っており4番ピッチャーにも成りました。
自慢話がしたいのではなく、野球やスポーツは、意識のぶつかり合いです。
負けたくない心が生まれます。
競争心は、確かに成長に欠かせませんが常に自分との競争に目を向けないと争い事になります。
野球でも、打者はホームランやヒット、四球のイメージとピッチャーがアウトを取ろうとするイメージのぶつかり合いです。
意識を現実に引き起こせる強い人が、結果を出せます。

そうやって、自分の限界と常に向き合い「何と争っているのか?」わからなくなります。
感動をしますが、二つを競わせて勝っても負けても学ぶことはあります。
ただ、争うより協力し合う時の方が感動し喜び合えます。
そもそも二つを競わすのは、弁償論やツーパーティーシステムとも呼ばれ、人と人が争う大きな源です。
共産主義vs民主主義
右翼vs左翼
枢軸国vs連合国
アメリカvs中国
善vs悪
投手vs打者
なので私は、野球が好きではなくなりました。
確かに、打てたら嬉しいし三振が取れたら嬉しいですが、相手の人間にも感情があります。
しかし、何と何がぶつかりあい、幸せになるのかわからなくなりました。
野球にも通じますが、一流は、感謝をして相手のリスペクトを忘れません。
それは、意識のぶつかり合いの中に自分の成長の糧があり、喜びがあることを知っているからです。
もちろん野球も感動できる一つのツールです。
しかし、100、200年と精神的に成長をした時スポーツは、争いの源になるので好まれなくなるよう思います。

サッカーも野球も戦争の縮図が始まりですよね。時代が変わればまた新たなイベントが始まる。
そんなことを思って温泉に浸かっていたのでした☺︎
以上最後まで読んでいただき誠にありがとうございます。
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