
絶好調〜ぶっちぎり〜
今日は氣比の松原(福井)にて、ゆったり海を眺めながら足を休めていました。
必要な物資を買い揃えながら
氣比神社にも立ち寄り、最高の出会いに感謝した。
そして、敦賀の北側鞠山海水浴場に着きました。
歩いて氣がついたことは、敦賀は、気の旧字「氣」が使われています。
米は、エネルギーが八方に広がるさまです。

〆るは、閉じている状態です。
戦後、アメリカさんのGHQによって変えられました。
そんな敦賀は、氣を使ってることもあってかみなさん元氣。
銭湯で90歳近くになるお兄さんと戦争の話をしていました。
90歳近いのに、頭がはっきりしていました。
そのお兄さんの話では、日本は、一度焼け野原になり本当に何もなかった。
敦賀も原発ができ栄えた。
戦争中、日本はエネルギーが採れにくかった。
石炭や炭鉱で働いて、当時4ヶ月分の給料を得ていた。
戦争時、神戸にいたけど、三菱の人と仲が良かったから神戸で何かあると教えられ敦賀へ疎開した。
そんなことを言っていました。
はい、私の認知する歴史ととてもあっていて信憑性のある温かい90歳のお兄さんの声でした。
歩きながら、お兄さんの話を思い出しながらまとめると、明治維新後に日本は氣が乱れている。
道路も電柱も本当はもういらない。
ドローンや空をAIが自動に行き来し、空で村同士を繋いで行き来すれば問題ない。
アスファルトは、木が育ちにくく負担が大きい。
木を塞ぐ。氣を塞ぐ。
目に見える形で、気候の変化が起き出している。
石油利権などに執着しますが、「今」変わらないと次の子供たちは生氣ることができない。
そんなことを思って、私は笑顔で少しでも氣軽にみなさんをできればと思い今日も一歩を踏み出しています☺︎
以上最後まで読んでいただきありがとうございます☺︎
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